2021年7月3日(土)に親を頼れない若者によるスピーチイベントを行いました。その一部を紹介し、社会的な背景とともに振り返ります。
とも/20代/男性
私は、有名企業に勤める両親のもとに生まれましたが、数年で両親は離婚。母が再婚した相手に殴られる生活が2年間続きました。母はいったん相手と別居しましたが、また戻ることになり、反対する私に「じゃあどうするの?」と聞きました。私は母方の祖父母の家に行くと答えました。選択肢はそれしかなかったから。母とは「永遠にさようなら」と言って別れました。私が10歳の時でした。
祖父母宅は大きな屋敷でしたが、従兄弟家族も同居するその家に、私はなじめませんでした。家の中をたらい回しにされ、最後は離れで暮らし、母屋の残り物をひとりで食べるようになりました。そんな、周りから存在を無視されているような生活が18歳まで続きました。苦しくても、誰にも相談はしませんでした。それは、「お前が親についていかないって決めたんだろ? だから1人で生きていくしかないんだぞ」と祖父母に言われ、今ある環境はすべて自分の責任だと思っていたからでした。
幼い子どもであっても、その置かれた環境によって、人生を左右するような重い選択を迫られることがあります。離婚する親のどちらと暮らすのか。親がいなくなった時、施設に行くのか親戚宅に行くのか。ずっと施設で暮らすのか里親と新たな家族を作るのか、等々……。そうした時に子どもの意思を聞き、それを尊重することは大切です。しかし、その結果に責任を負うべきなのは、子どもではありません。
1989年に国連が採択した「子どもの権利条約」は、子どもを保護の対象としてだけでなく、自己決定を含めた権利の主体としてとらえた、画期的な条約です。条約は、子どもが自分に関する事柄について自由に意見を表明でき、おとなはその意見を十分に考慮しなければならない、と定めています。子どもの意思がないがしろにされがちだった社会に、この条約は新風を吹き込みました。しかし、その前提には、すべての子どもが安定した環境でのびのびと育つ権利があること、おとなが責任をもってその権利を守り、子どもの最善の利益を図らなければならないことが明記されています。知識も経験も不十分な子どもが、限られた選択肢しか与えられずに選んだ結果に責任を負うのは、そうした状況を子どもに与えたおとなたちなのです。
おとなが自分を優先して、子どもに我慢させてしまうことを選んだのなら、せめてその責任を自覚して、罪悪感を持ってください。その罪悪感は、きっと、謝るきっかけになります。責任を子どもに押し付けてしまったら、罪悪感が生まれることはなく、謝ることもできなくなってしまう。関係が、修復できなくなってしまうのです。そうならないように、おとなが持つべき責任を見失わないようにしてください。
執筆 : 原沢 政恵