2021年7月3日(土)に親を頼れない若者によるスピーチイベントを行いました。その一部を紹介し、社会的な背景とともに振り返ります。
しょん/20代/女性
中学生の時、同級生が自ら命を絶ちました。家庭にも学校にも問題があるようには見えず、みな口をそろえて「どうして?」と言っていました。そのなかで私は、私も居場所に出会えていなければ、同じように命を絶ち、どうして?と言われただろうと思っていました。
私の父は母に嘘をついて多額の借金を繰り返し、私に暴力をふるいました。守ってくれる母が私のすべてでしたが、中学1年の時に両親が離婚すると母も心が不安定になり、私を叩き、嵐の中で家から追い出したりするようになりました。私はどうしようもなくて、自分で自分を傷つけたこともあります。でも、そんな時も私は、人前では「普通」であることに必死でした。何があっても毎日学校に行き、必死に笑顔で振る舞う。自分のつらさに気づいてしまったら生きていけないからです。そんな私は何かの支援につながることはできず、周りに気づかれずに済む程度のことだったのだと考えて最近まで生きてきました。でも、私が支援につながれなかったのは、本当にその程度のことだったからなのでしょうか?
いいえ、私は嵐の中でうずくまっている昔の私を見捨てたくありません。一人で泣いている私に、もっとつらい人がいるから我慢しろと言いたくもありません。昔の自分を見捨てないために今言います。私はつらかった。苦しかった。
私が生きてこられたのは、中学2年の時に、教室という居場所に出会えたからです。担任の先生は「この教室を世界で一番平和な場所にする」と宣言。私を受け入れてくれる仲間もでき、教室は私にとって安全で安心な場所になりました。先生や仲間に相談することは最後までできませんでしたが、それでも居場所があったことで私は救われました。
児童相談所が扱う虐待相談件数は年間十数万件ですが、相談に至るほどではなくても何らかの支援を必要とする「予備軍」はその数倍にのぼると専門家はみています。そうした子どもたちにとって、家庭の外に安心できる居場所があるかどうかは重要な問題です。毎日長い時間を過ごす学校がそうした場所であれば、多くの子どもたちが救われるはずです。とはいえ、学校の教師たちは、増える一方の雑務や難しさを増す学級運営、クレーム対応などに追われ、一人一人の子どもとじっくり向き合う時間がなかなか取れなくなっています。
こうした状況を受けて、国も教師の負担軽減や子どものケア強化に乗り出しました。子どもたちの相談に乗り、心のケアを行うスクールカウンセラーの配置は1995年度から始まり、現在、全国で3万人強が活動しています。2008年度からは、子どもの生活環境に踏み込んで問題解決を図るスクールソーシャルワーカーの配置も各中学校区に1人を目標に始まり、2017年度からは部活指導員、2020年度からはいじめ問題などで学校に助言を行うスクールロイヤーも制度化されました。
私は、「助けて」と言えない子にかかわれる学校という場所で、見えない背景に苦しむ子に居場所を提供する。そう決心し、教員を目指しています。普通に見えても、苦しんでいる子どもはたくさんいます。支援につなげるのが難しい時もあるかもしれません。でも、見えない背景があるかもしれないとおとなが意識することで、変わることもきっとあります。一人の意識が、誰かの居場所を作り、命をつなぐこともできると、私は信じています。
執筆 : 原沢 政恵