2021年7月3日(土)に親を頼れない若者によるスピーチイベントを行いました。その一部を紹介し、社会的な背景とともに振り返ります。
りゅうさん/20代/男性
僕が感じてきた子どもの情報格差についてお話しします。
僕が4歳の時に両親は逮捕され、兄と弟と僕は児童養護施設を経て祖母の家へ。でも生活保護を受け、線路脇のボロ家で暮らす祖母はやんちゃな僕らをもてあまし、中学生になったころ、再び施設に入ることになりました。それに先立って一時保護所というところにいたのですが、ささいなことで職員と口論になり、こう言われました。「そんなに嫌なら出て行けばいいじゃないか。牢屋じゃないんだから、あとはお前の自由だろ!」。
頭にきた僕は保護所を飛び出しましたが、14歳の子どもが一人でまともに生活できるはずがありません。夜の街を徘徊し、ホームレスのおっちゃんに食べ物をもらったこともあります。僕にとっては命の恩人ですが、明らかに支援が必要なのに支援されていない、そんなおとなを見て急に不安になりました。なんとなく過ごしていればいつかおとなになる、どこかで誰かが助けてくれると思っていましたが、違うのかもしれない。そこで自ら児童相談所に連絡し、保護所に戻りました。飛び出してから約1年が経っていました。
施設に入ってからは毎日図書館のパソコンで情報を集め、受験や就職、生活費などについて、僕の想像とはかけ離れた現実を知りました。このままではダメだ。そう思って必死に勉強し、高校に進学。今では結婚、出産、マイホームと、理想の生活を手に入れることができました。
頼れる親のもとで〝普通〟に暮らしている子どもは、親に導かれて自然にさまざまな情報に触れ、経験を積み、将来像を描き、それに向かって進んでいくことができます。しかし、頼れる親がなく、日々食べるだけで精いっぱいという暮らしでは、得られる情報も経験も限られてしまいます。将来のために情報を得ようと思いつく機会すら、知らないうちに奪われている子どもたちがいるのです。
高校卒業後は原則として施設を退所しなくてはならず、人より早く進路選択を迫られます。しかし、進学・就職に関する情報や体験機会を十分提供できている施設は多くありません。退所後の生活への不安から、寮付きなど福利厚生を重視して会社を選ぶ子どももいます。子どもたちの選択肢は、情報の少なさによって狭められてしまっていることが多いのです。
情報格差に関して僕は特殊な例ではありません。児童養護施設の子どもたちは、退所の際、進路について必死に考えますが、その選択は本当に自分で理解し、納得して選んだものでしょうか? 情報や経験の欠落により選択肢が狭まっていないでしょうか?
これからの支援の形として、その子が自分自身の力で歩いていくための、情報支援や機会の支援がより充実すると良いなと思います。少なくとも僕は、世間を知らない14歳の少年に「お前の自由だ」などと少ない選択肢の中から自分の将来を選ばせるような社会にはしたくありません。
執筆 : 原沢 政恵