2021年7月3日(土)に親を頼れない若者によるスピーチイベントを行いました。
その一部を紹介し、社会的な背景とともに振り返ります。
呑ん/20代/女性
私が3歳の時に両親が離婚し、私は母方の実家で育ちました。比較的裕福な家でしたが、私は毎晩泣きながら眠りについていました。蹴られたり、顔に水をかけられたり、深夜冷たい廊下で土下座させられたり……。足音がすると、また母が殴りにきたのではないかと怯えました。泣きはらした顔とボサボサな頭の私は、学校でいじめの対象にもなりました。成長するにつれて自分の家のおかしさに気づいていきましたが、反抗しても母の怒りは増すばかり。同居の祖父母からは「恥ずかしいことだから」と口止めされていました。
高校生になり、こんな状況をどうにかしたくて、ピアノの先生に相談のメールを送ったことがありますが、返信はなく、レッスンは何事もなかったかのように続きました。部活の顧問に相談したら「高校生はもう働ける年齢」「そんなに嫌なら家を出れば」と言われました。交番に駆け込んだ時には、お巡りさんに「実の親を悪く言うなんておかしい」と責められました。人は頼りにならない。私は助けを求めるのをやめ、自分で家を借りられる20歳になって、ようやく家を出ました。
子どもは、虐待を受けても自分が悪いからだと思い込み、我慢してしまいがちですが、成長するにつれてよその家庭との違いに気づくようになり、時には外部に向かってSOSを発します。それによって虐待が明るみに出て救われるケースは多いのですが、残念ながら、せっかくのSOSが生かされないこともあります。
2019年に野田市で虐待死した小4女児は、その1年ほど前、学校のアンケートで父からの暴力を訴えていました。児童相談所はいったん女児を保護しましたが、威圧的な父の主張が通って親元に戻され、アンケートも父に渡されて虐待が激化。むざんな死を迎えることとなりました。また、相模原市では2014年、男子中学生が親から暴力を受けているとしてコンビニに駆け込み、警察に保護されました。中学生は「養護施設に行きたい」と訴えましたが、児童相談所は緊急性がないとして受け入れず、中学生は自殺してしまいました。
子どもがいくらSOSを発しても、おとながそれをきちんと受け止め、適切に行動しなければ、子どもは救われません。親の言い分を聞き、ケアすることも大切ですが、それは子どもの安全を確保した上でのことです。そうでなければ、子どもは誰ひとり自分の味方になってくれない社会に絶望するしかありません。
家を出てからしばらくは、昔のことはなかったことにして生きてきました。でもいま私は、そんな社会を変えたいと思っています。こんな思いをした子どもは、きっと私だけじゃないんです。見て見ぬふりはしないでください。何より子どもが傷つくのは、無関心と、親側の味方をされることです。子どもの話を聞き、なるべくそのまま受け止めてください。おとなが見て見ぬふりをしないこと。そこから変わっていくと私は信じています。
執筆 : 原沢 政恵