2021年7月3日(土)に親を頼れない若者によるスピーチイベントを行いました。その一部を紹介し、社会的な背景とともに振り返ります。
まいと/30代/男性
ぼーっと突っ立って動かない。大きな声にビクッとする。かと思えば、わざと怒らせることを言っておとなの神経を逆なでする。思い返せば、幼稚園のころから私はそうやってSOSを発していたのかもしれません。小学生の時も、中学生の時も、何度も助けようとしてくれたおとながいましたが、助けられた後どうなるかわからないから怖くて、その手を振り払い、心が壊れないように自分の体を傷つけていました。
16歳の時に児童相談所の介入がありましたが、公立高校ではなく県外の私立高校に通っていたことがネックとなり、児童養護施設に入所できませんでした。介入後さらに親との関係が悪くなり、精神的な不調を抱えた私は2年ほど精神病院を転々としました。そうしたら今度は、その通院歴がネックとなって自立援助ホームに入れませんでした。
20歳の誕生日。これからどう生きていくか真剣に考えた時、ずっと私に寄り添ってくれた看護師さんが頭に浮かびました。「よし、看護師になろう」。2年後に無事、看護大学に入学できましたが、看護大学では自分自身と向き合う授業も多く、頻繁にフラッシュバック(過去のつらい体験が鮮明によみがえり、恐怖にかられること)が起き、バイトができなくなりました。学校を続けるため、一時的に生活保護を受けられないか役所に相談しましたが、言われたのは「大学はぜいたく品です」という厳しい言葉でした。施設出身であれば受けられたはずの奨学金も、自分は受けられない。私はいつも、制度のはざまを生き、社会からこぼれ落ちてきたのです。役所からの帰り道、私は自殺を図ってしまいました。
児童虐待の相談件数は年間19万件を超えますが、そのうち子どもが一時保護されるケースは1~2割。児童養護施設などへの入所に至るケースは、さらにその2割程度です。児童相談所の専門職である児童福祉司が一つ一つのケースを調査し、保護の必要性を判断するわけですが、時に誤った判断がなされることがないとは言えません。
その要因の一つが、児童福祉司の置かれた厳しい状況です。相談件数が年々増加するなか、児童福祉司は1人当たり数十~百件ものケースを担当せざるを得なくなっています。疲れ果てて職場を去る児童福祉司も多く、一般の行政職員が研修を受けただけで児童福祉司になることもあります。まいとのケースのように、通っている学校や通院歴が子どもを保護しない理由になることは本来あってはならないはずですが、担当者の専門性や経験の乏しさなどから、厳しい状況にある子どもが二次被害を受ける可能性すらあるのです。
子どもの未来が、たまたま経験豊かな担当者に当たったかどうかで左右されるようなことがあってはなりません。児童相談所司の人員を拡充して働く環境を整え、専門性を高めると同時に、虐待を客観的データから判定するAIや子どもの代弁者となるアドボケーターの導入など新しい試みも進めていく必要があります。
あれから8年。自ら命を絶った仲間もいます。なぜ自分だけが生き残っているのか、たくさんたくさん考えてきました。そして私は昨年、「虐待どっとネット」という団体を立ち上げました。自分と同じ思いをする子どもがいなくなるよう、虐待を受けた経験のある思春期から30代の若者の支援環境の構築をめざす団体です。虐待の後遺症を抱える子どもでも、ふつうにおとなになって活躍できる社会にしたい。みなさん、次世代のために力を貸してください。一緒に優しい社会をつくりましょう。
執筆 : 原沢 政恵