さまざまな社会問題と向き合う「当事者」が、SNS(会員制交流サイト)やメディアを通じて発信する機会が増えています。多くの人に実情を知ってもらい、一緒に考えてもらう上で、とても大切な一方、その真意がうまく伝わらず誤解されたり、悪意のあるコメントに傷ついたりすることも少なくありません。「コエール2022」(7月2日開催)でスピーチする20〜30代の若者(イルミネーター)と同世代で、「見た目問題」や「ルッキズム」(外見至上主義)について5年前から発信を続ける神原由佳さん(28)は、「コエール」の第2回ワークショップ(3月6日開催)で、イルミネーターたちに「自分ファーストで」「無理をせずに」とアドバイスを送りました。どんな点に心掛け、課題があるのか、うかがいました。
かんばら・ゆか 1993年、兵庫県生まれ。横浜市育ち。先天的にメラニン色素が欠乏する遺伝子疾患の「アルビノ(眼皮膚白皮症)」で、幼いころから肌や髪、目の色素が薄い。大学の社会福祉学科で学び、社会福祉士や精神保健福祉士の資格を取る。現在はソーシャルワーカーを務める傍ら、アルビノのセルフヘルプ・グループ「日本アルビニズムネットワーク(JAN)」の有志のスタッフとして活動に携わり、2017年から自らも「当事者発信」を続けている。
■発信に「リスク」、自分をどう守る
——— 「コエール2022」のワークショップの中で、発信には「リスク」が伴うと指摘し、「自分ファースト」が大切だとアドバイスされていましたね。
神原さん 「当事者」発信を始めて5年くらいになります。今は、SNSやブログなどがあって、個人でも発信しやすくなりました。テレビや新聞などメディアの力を借りると、拡散力があることも実感します。でも、伝えたいことが伝わるな、と感じることもあれば、意図しない形で伝わると、違った解釈をされたり、インターネット上で匿名の掲示板に悪意のあるコメントを書き込まれたりすることもあります。これまで自分が経験してきたことに対しても、「努力が足りない」「忍耐が足りない」といったものや、容姿の美醜など人格否定みたいなものもあって、すごくつらい思いをしたこともあります。
「社会を変えたい」「だから、伝えたい」。そういう気持ちはすごく大事だと思います。でも、発信するときは使命感に燃えたり、気持ちを奮い立たせたりしますが、深く傷つくと、その反動で落ち込んだり、時には心が病んでしまうこともあります。なので、時々立ち止まって、「自分は大丈夫かな」と点検しながら続けることが大切だなと、この5年間で、そう思うようになりました。
イルミネーターの皆さんも、「伝えたい」っていう気持ちが強いと思いますが、自分の背中を押すばかりじゃなく、少しずつでいいから、自分を大事にしながら発信してね、ということを伝えたくて、そうお話しました。
■「質のよい発信」、大切なことは
——— ワークショップでは、「質のよい発信」が大切だと強調されています。「たくさん発信すればいい、ということではない。数よりも質が大切」「質のよい発信は、先々も聞いてもらえ、社会的にも影響があり、炎上もしにくい」と。
神原さん 自分自身の中で、引っかかりのあるまま、テレビで放送されたり、新聞などに掲載されたりすると、ネット上で「炎上」みたいになることも少なくありません。
「見た目が違うことで、就活に困っています」みたいな分かりやすいストーリーで描かれたこともあります。私の場合、アルバイトの採用で、そうした経験はありますが、ソーシャルワーカーの職に就いたので、一般企業への就活経験はありません。取材を受ける際、そう伝えていたのですが、そういう描かれ方になっていました。
どんな発信が「質のいい発信」と考えるか。なるべく個人の等身大の「気持ち」や「言葉」で伝えるってことかな、と。当事者ではあるけど、その社会問題についての専門家ではありません。「一個人」「一当事者」として、こういう言葉に傷ついたとか、こんなことがうれしかったとか、率直な気持ちとともに伝えられたとき、「すごく、いい発信ができたかな」と感じます。
例えばいま、ネットのニュースサイト「ウィズニュース」で連載している「#アルビノ女子日記」は、社会に向けての発信ですが、「社会運動」みたいに訴えかけるようなスタンスではなく、身近な体験をつづっています。「ヤフコメ(ヤフーニュースのコメント欄)にブスって書かれて傷ついた」と書いた時は、結構、反響があって、その記事へのヤフコメのコメントに「ブスって(コメント欄に)書くの、ダメだよね」と書かれていたりして(苦笑)。
受け手も、いろんな方がいます。読むのが得意な人、「映像がいい」とか、ラジオみたいに「声だけの方がいい」とか。私自身、今は基本的にテキストによる発信がメインですが、いろいろ試してみたいなと思っています。YouTube(動画投稿サイト)で発信しているものは、メディアで紹介された番組で、厳密には自分で制作したものではありませんが、「メイク」をテーマにした動画は、同世代くらいの女性の方からの反応がよかった感じです。
「当事者発信」って、どうしても「つらい経験をし、今はこうです」という感じのものが多いですが、メイク動画は、ユーチューバーさんみたいな楽しいアプローチだったので、すごく(受け手に)届くんだなって実感しました。動画を通じて、「等身大」の自分を発信できたかな、と思います。
変に難しい言葉を使ったり、飾ったりしない方が、伝わる感じがします。
例えば、メディアと一緒に制作して発信する時、担当が「タッグを組んでくれる」ようなタイプの方だと、伝えたいことが伝わるな、という実感があります。一人で発信すると、独りよがりになってしまうこともあるけど、客観的な視点で発信内容を見てくれます。なので、「コエール」のように、スピーチしようとするイルミネーターの若い人に、「エンパワ」という社会人が一緒に寄り添い、伴走するのって、気持ちの上での「心強さ」だけじゃなくて、「客観視してくれる存在」がいる、という意味でも、すごくいい仕組みだなって思います。
■発信する当事者、守る仕組みを
——— さまざまな「当事者」が「発信」する際、十分な準備や支援がなく、結果的にうまく伝わらず、かえって攻撃の的になったり、傷ついたりすることも少なくありません。こうしたことを回避し、発信した内容を社会がしっかりと受け止め、課題解決につなげていくため、どんなことが必要だと考えますか。
神原さん 「発信するのは大事だ」とか、「意味のあることをやっているね」と言ってもらえるのはありがたいのですが、発信して、傷ついたりしたときに、どうしたらいいのか、っていうことについては、誰も教えてくれなかったな、と思います。
「いい発信」ができたな、と思っても、悪意のあるコメントをゼロにはできません。例えば芸能人だったら、芸能事務所が守ってくれるかもしれませんが、マイノリティの当事者で発信している人は、大半が「個人」として活動し、仕事の傍ら、取り組んでいます。
「悪意のある」コメントにも、個人で対応しなければならなくて、それに疲れて、発信することをやめてしまった人も、私の知り合いに実際にいます。当事者が自分の言葉で発信していくことは、すごく意義のあることなのに、悪意のあるコメントにエネルギーを奪われ、「当事者発信」のフィールドから去って行くのは、すごく悔しいことだし、もったいないと思います。
私も、どうやって自分や、同じような立場の当事者の人たちを守っていけばいいのかな、と常に考えています。フェイスブック(FB)で当事者発信している何人かの人に、「どう思いますか」って投げかけたこともあるのですが、なかなか、答えは出ません。私もすごく模索していて、自分たちを守る方法やコミュニティーがあったらいいな、と考えています。
一方、誹謗中傷に慣れてしまっている人だけが、発信を続けていくっていうのも、違うかなと思います。強い人しか、声を出せない、みたいなのは。
■当事者の「多様性」、受け止めて
——— 「当事者発信」を、どう受け止めていけばいいのでしょうか。
神原さん 「当事者発信」って、言い方によっては、きつく聞こえる時もあると思いますが、私は、なるべく、やさしい気持ちで発信したいな、と心掛けています。
「分かってほしい」と思って発信していますが、「分からせよう」として発信する必要はないかな、と。分かってもらえるかどうかは、相手次第ですし、「分からせよう」とするのは、すごく暴力的だなあと思って。そこまでする必要はないし、分かってもらえなかったら、仕方ないな、と。
高校や大学で講演する機会もあります。「アルビノ」が標題になっているのですが、「見た目問題」や「ルッキズム」の方が関心を持ってくれるので、そちらの切り口をメインにお話ししています。関心を持ってもらえる土台が大切だと考えるので。「アルビノ」のことを知ってもらうのは次でいいから、まずは、あなた自身のことを大事にしてね、ということを伝えるようにしています。
「発信」って、インパクトも大切ですけど、「続けること」が、すごく大事だと思います。その当事者である「一人の人間」が、長い年月をかけて、どういうふうに変化していったか。発信する中で「ロールモデル」を示していくこともできます。とにかく、「細く」でもいいから、「長く」続けてほしいと思うんですね。
同じような立場の当事者って、ほかにもいて、だから、自分一人で頑張らなくてもいい、と。メディアで、一人の同じ当事者が、いろんなところに登場することがよくありますが、例えば、「アルビノ」イコール「私」みたいな形で、イメージが固定化するのは、あまりよいことではないのかな、と。一口に「アルビノの当事者」と言っても、年代・性別・職業などによって、百人百様、いろんな立場・境遇の人がいますし、私の「シングルストーリー」よりも、そういう人たちのさまざまな「ストーリー」を通じて、「アルビノの多様性」みたいなものを知ってもらえるといいかな、と思います。
いま現在、私自身、見た目のことで、何か大きな問題にぶつかっているということはなく、この問題についての「当事者性」は薄らいでいると思います。でも、この先、結婚をしたり、いろいろとライフステージが変わっていったりする中で、見た目のことがハードルになることは、ゼロではないかな、と思います。困難にぶち当たり、「自分が人と違うから、いけないんだ」とか、ネガティブにとらえてしまうこともあるかな、と。「当事者性」って、すごく揺れがあって、いま、ある程度、乗り越えたから、もう大丈夫だっていうわけでもありません。「揺れ」のあることが、自然なことなのかな、と。なので、調子の悪いときも、「それが延々と続くわけではない」と信じて、なんとなく生きていますね。いまは。