2023年7月8日(土)に親を頼れなかった当事者たちのスピーチイベントを行いました。
スピーチを是非、ごらんください。
++ イルミネーター(登壇者)紹介 ++
チャンプ 26歳 (当時)
小1の時、両親が離婚。父親に引き取られ、小1〜4は父子で「車上生活」 小4の時、父親が脳梗塞で倒れ、児童養護施設へ
現在は世界的なフィットネスクラブでトレーナー
あなたの周りで困っている子供を見たことありませんか
もし居たらあなたはどうしますか?
僕が経験してきた居所不明児童についてお話しします
2023年7月8日(土)に親を頼れなかった当事者たちのスピーチイベントを行いました。
スピーチを是非、ごらんください。
++ イルミネーター(登壇者)紹介 ++
チャンプ 26歳 (当時)
小1の時、両親が離婚。父親に引き取られ、小1〜4は父子で「車上生活」 小4の時、父親が脳梗塞で倒れ、児童養護施設へ
現在は世界的なフィットネスクラブでトレーナー
あなたの周りで困っている子供を見たことありませんか
もし居たらあなたはどうしますか?
僕が経験してきた居所不明児童についてお話しします
2023年7月8日(土)に親を頼れなかった当事者たちのスピーチイベントを行いました。
スピーチを是非、ごらんください。
++ イルミネーター(登壇者)紹介 ++
しま 25歳(当時)
幼いころ「しつけ」と称して当時の母親のパートナーから兄と共に暴力を受ける。
現在は看護師の傍ら、シングルマザー・貧困家庭・DV家庭の子ども預かる託児施設でボランティア活動に携わる。
あなたはこれまで誰からの影響を強く受けてきましたか?
私は、この話が一人でも多くの人に届き、良いきっかけを届けられることができれば嬉しいです。
2022年7月2日(土)に親を頼れない若者によるスピーチイベントを行いました。その一部を紹介し、社会的な背景とともに振り返ります。
しろし/20代/女性
私の家はとても貧しくて、母は無職の父の代わりに一日中働いていたため、私は多くの時間を父と2人で過ごしました。父にはよく暴力を振るわれましたが、嫌だと言うことはできませんでした。「子どもは親の奴隷だ、お前は親の言うことを聞いていればいいんだ」と父に教えられたからです。中学を卒業するころには、父は包丁を持ち出すようになりました。母は何度か離婚を提案しましたが、そのたびに私は「離婚したら私はお父さんについて行く。お母さんはひとりでも生きていけるけど、お父さんはひとりでは生きていけないから」と言って断りました。私は小さな頃からどんなときも笑顔で過ごすことを心がけていましたが、心の中ではいつも叫んでいました。誰か助けてって、何度も何度も。
親から虐待を受けている子どもの心はとても複雑です。虐待はつらいけれども、絶対的な存在である親には従うしかない。何をされてもやっぱり親が好きだし、親が非難を浴びればかばう。よその人には虐待のことを知られたくないから外では何でもないふりをし、笑顔で過ごす。でも実はやっぱり誰かに助けてほしい……。
児童相談所が扱う児童虐待件数は年間20万件を超えていますが、しろしのように、誰にも知られないまま苦しむ子どもはその数倍にのぼるとみられています。彼らは自ら助けを求めることがなかなかできません。そうした子どもを助けるには、通報を待つのではなく、助けを必要としている子どもを積極的に探し出して救い出す「アウトリーチ(外に手を伸ばす)」型の支援が必要です。国も近年その重要性を認識し、望まない妊娠や若年層の妊娠などのケースを出産前から継続して支援したり、乳児のいる全家庭への訪問事業、児童館など地域の身近な場所での交流・相談事業などを始めています。就労対策の一環として、長期間の失業やひきこもりで困窮している若者や中高年への訪問支援も始まっています。自治体やNPOが孤立して苦しむ若者たちへのアウトリーチ型支援を行うケースも出てきています。これらの動きはまだ始まったばかりですが、今後、社会全体に広がっていくことが期待されます。
しろしも、現在は実家を離れて働きながら通信制大学で福祉を学び、休日にはアウトリーチ型で同じ環境に置かれている若者同士が支え合うボランティア活動に参加しています。
私がやっているのは、着ぐるみを着て街を歩く子どもや若者に声をかけ、話をしたり、スポーツをしたりして彼らの居場所を作る活動です。この活動を通して、家や学校に居場所がないと感じる若者の多さと、彼ら彼女らの叫びの声は街に出てこちらから働きかけなければ聞こえてこないという現実を知りました。自分に優しくしてくれる大人を探して夜の街に出る若者。生きている実感がほしくて危ないことをする若者。そんな彼ら彼女らに投げかけられる言葉は、「甘えていないで真面目に働きなさい」「親孝行しないといけないよ」など、往々にして冷たいものばかりです。どうかそんな言葉の刃を捨てて、その人の名前を呼んであげてください。おはようやありがとうの言葉をかけてあげてください。そばにいること、それだけでも十分です。
人の居場所は、家や学校、支援機関の中にあるわけではありません。人と人との対話の中に生まれ、育っていくものではないでしょうか。苦しんでいる人々の声をなかったことにしないように、わたしはこれからも悩み、考え、生き抜いていこうと思っています。
2022年7月2日(土)に親を頼れない若者によるスピーチイベントを行いました。その一部を紹介し、社会的な背景とともに振り返ります。
Kaito/20代/男性
私は幼少時から虐待を受けて育ちました。4⼈兄弟の3番⽬ですが、両親はどちらも再婚で、兄弟同士で親が異なり、母には虐待を受けて育った過去がありました。いびつで複雑な家庭に居場所はなく、毎日死にたい、明日死ぬかもしれないと思いながら生きていました。学校にもあまり行かせてもらえませんでしたが、中学に入って半年ほど経った時、人生の転機がやってきました。担任の先生がなかなか学校に来ない私を気にかけ、私はどうしたいのか、と私の意思を聞いてくれたのです。それまでも、アザだらけの体を見て声をかけてくれた人はいましたが、自分の意思を聞かれたのは初めてで、とてもうれしかった。生まれて初めて、希望を持つことができたのです。私は先生にすべてを話し、児童養護施設に入ることになりました。その結果、今の私は大学で学び、仕事もできています。
一方私の兄弟は、両親と同じようなルートをたどって生きています。虐待を受けたりした経験は、すごい勢いで、同じ過ちを繰り返すように引っ張ってきます。負の吸引⼒です。私もその吸引力に引っ張られそうになった時がありますが、中学の先生や施設の職員さん、友だちなどたくさんの人に助けられて、今ここに立つことができています。
児童虐待は往々にして世代間連鎖を起こします。子どもにとって絶対的な存在である親との関係は、自分を取り巻く世界との関係の基本になります。親から無条件に愛された子どもは親との間に絶対的な愛着関係を育み、それが心の安定や他者との信頼関係につながっていきますが、虐待を受け、親との愛着関係を育むことができなかった子どもは自分も他者も信頼することができず、世界は自分にとって敵対的・拒絶的なものだと考えるようになってしまいがちです。そうした考え方は友人や同僚、さらにパートナーやわが子など、自分にとって大切なはずの人々との関係にもマイナスの影響をもたらし、しばしばトラブルのもととなります。わが子との間に愛着関係を育むことにも困難がつきまとい、時には自分がされたのと同じような虐待をしてしまう。これではいけないとわかっていても、自分で自分をコントロールできない。Kaitoの言う「負の吸引力」です。
それでも、連鎖を断ち切ることはできます。施設の職員や里親などとしっかりした関係を築いたり、パートナーから十分な理解と支えを得られるなど、信頼できる相手との出会いや適切なサポートがあれば、人は「負の吸引力」に打ち勝ち、新しい人生を切り開いていくことができるのです。
今このスピーチを聞いている⼈の中に、明⽇死ぬかもしれないと思っている人がいないといいなと思いながら話しています。今こうして私がここで話せているように、人は可能性で満ちあふれています。人は生きているだけで希望がある。逆に、人の希望を奪う可能性もあります。自分の可能性を信じて、トライしてみてください。それはきっと巡り巡って誰かのためになります。虐待などさまざまな問題は、未来の私たちが創り出すものです。だからこそ負の吸引力に引きずられることなく、⾃分が作り出す前向きなパワーで、今度は誰かにきっかけを与えられたらと思っています。私は子どもに期待してもらえるおとなになりたいのです。
2022年7月2日(土)に親を頼れない若者によるスピーチイベントを行いました。その一部を紹介し、社会的な背景とともに振り返ります。
セーラ/20代/女性
私は、2歳から18歳まで児童養護施設で暮らしていました。施設に入った理由は親の虐待だと聞きましたが、教えてくれる人によって話が違い、何が本当なのか私にはよくわかりません。施設を自分の家だとは思っていませんが、当たり前のように帰る場所でした。私の施設では子ども同士がとても仲良くて、学年に関係なく、みんなで一緒に遊んでいました。行事もたくさんあり、特に楽しかったのがお正月のイベントでした。外食に行ったり、映画や買い物に行ったり、ビンゴ大会をやったり。夜遅くまでおやつパーティーをしたり、テレビをみたり、みんなでリビングで寝たりしたのも思い出に残っています。
高2の時からはキックボクシングのプロになると決めてがんばっていますが、施設の職員もほかの子どもたちも私の夢を否定せず、応援してくれています。それなのに、外の人から「どこに住んでいるの」って聞かれて「施設」と言うと「何それ」って言われるのが嫌でした。施設のことを説明したら空気が暗くなって、言わなければよかったと思うこともありました。だから、皆さんに施設のことをもっと知ってほしいのです。
児童養護施設は全国に605カ所あり、2~18歳の子どもたち約3万人が暮らしていますが、その実態はあまり知られていません。かつては大規模な施設がほとんどで、多数の子どもたちが2~8人くらいずつの大部屋で暮らし、食事は大きな食堂で一斉に食べる「大舎制」が主流でした。近年は子どもの養育にはなるべく家庭的な環境が望ましいとの考え方から小規模化が進み、敷地内に独立した家屋をいくつか配置してそれぞれの家屋で各12人以下の子どもが生活する「小舎制」が増えています。地域の一般住宅を利用して6人以下の子どもが職員とともに生活するグループホームも続々と誕生しています。また、大規模な施設でも子どものプライバシーを尊重するため、個室化が進んでいます。児童養護施設の実態は大きく変わっているのです。
現在の施設で暮らす子どもたちの日常生活は一般の家庭とさほど変わらず、一定の制約があるとはいえ、塾や習い事に打ち込む子も多くいます。大学や専門学校などへの進学率も上昇してきています。約6割が親からの虐待を経験しているなどそれぞれに重い事情を抱えていることは事実ですが、施設で暮らしているというだけでかわいそうな子どもだと決めつけたり、敬遠したりするのは間違いと言えます。
施設に住んでいないと体験できないことがたくさんあります。私は施設にいたからこそ、きょうだいみたいな友だちがたくさんできました。いまは格闘技留学をめざして、アルバイトで留学費を貯めながら、週6日の練習をがんばっています。施設の職員や友だちなど周りの人が応援してくれるからこそ、きつい練習もがんばれます。
高2の時、信頼できる友だちに、思い切って施設に入っていることを伝えました。友だちは施設に遊びに来て、小さな子どもに「かわいい」と言ったり、「施設が広くてうらやましい」などとも言ってくれたので、言ってよかった、勇気を持って伝えることは大切だと気づきました。私は、施設が、親がいなくてかわいそうな子どもがいる場所ではないと、たくさんの方に知ってほしいです。
2022年7月2日(土)に親を頼れない若者によるスピーチイベントを行いました。その一部を紹介し、社会的な背景とともに振り返ります。
リプトン/20代/女性
私は16歳の冬、療育手帳をもらいました。療育手帳とは、知能指数(IQ)がおおむね70以下の人に交付される手帳です。小さなころから同世代の人との大きな差を感じ、人間関係にも苦しんできましたが、療育手帳をもらったことで、「これが自分の個性だ」と安心することができました。また、子どもの世話をしない両親のもとでいつもおなかを空かせて留守番をしていましたが、17歳で児童相談所に保護され、里親家庭で暮らすことになりました。里親夫妻は両親から教わることのなかった洗濯や掃除など身の回りのことや一般常識を教えてくれ、そのことには感謝していますが、どうしても許せないことがあります。私の知的障害について、口にするのもつらいような言葉で繰り返し侮辱したことです。里親家庭のサポートをする担当者が定期的に家庭訪問してくれましたが、里親に設ける時間が50分に対して、私には10分。私の意見を聞いてくれる時間はなく、一方的に里親からの意見をぶつけられました。私は精神的に病んでしまい、2年後に自立してからの半年間は精神科で薬を飲んでいました。
国は、子どもはできる限り家庭的な環境で養育を受けるべきだとして、「施設養護」から里親などによる「家庭養護」への転換を進めており、里親への委託を増やすとともに、里親家庭への支援も強化しています。児童相談所は委託前に里親希望者にさまざまな研修を行い適性を見極めるだけでなく、委託される子どもの気持ちも大切にしつつ慎重にマッチングすることとされています。委託後にも、児童相談所や里親支援機関の担当者が定期的に家庭訪問を行い、必要に応じて里親と子どもの関係を調整することになっています。ですが多くの場合、担当者と話し合うのはもっぱら里親側で、子どもの話をじっくり聞く担当者は少ないようです。
厚生労働省が作成した里親委託ガイドラインでは、委託直後の2か月間は2週に1回程度、委託の2年後までは毎月ないし2か月に1回程度、その後はおおむね年2回程度家庭を訪問するなど詳細な支援方法を示していますが、子どもへの対応については「できる限り子どもに面会し、暮らしの状況や希望などについて聞く」とされています。主たる訪問先は里親であり、子どもへの面会は絶対必要とはされていないのです。里親委託の最優先事項は子どもの利益であり、里親家庭支援も、むしろ子どもを中心に考えるべきではないでしょうか。
立場の弱さや未熟さによって、自ら意見を表明しづらい子どものために、全面的に子ども側に立ち、その思いを丁寧に聞き取って他者に伝える「子どもアドボケイト(代弁者)」の重要性が言われ始めています。里親家庭で暮らす子どもたちにも、できる限り「子どもアドボケイト」を配置し、真に子どもに寄り添った支援につなげるべきでしょう。
里親家庭への支援について、4つ希望することがあります。1つ目は、里親と子どもに別々の担当者をつけること。2つ目は、時間制限を設けず、子どもの話をゆっくり聞くこと。3つ目は、里親と子どもが毎日記録をつけることをルール化すること。大人の前でうまく話せない子どもの状況を把握しやすくなると思います。4つ目は、里親家庭に対して、障害者に関する専門的なサポートや研修をすることです。小さな意見かもしれませんが、どこかに届き、私と同じ思いをする子どもがひとりでも減ったら嬉しいです。
2021年7月3日(土)に親を頼れない若者によるスピーチイベントを行いました。その一部を紹介し、社会的な背景とともに振り返ります。
まいと/30代/男性
ぼーっと突っ立って動かない。大きな声にビクッとする。かと思えば、わざと怒らせることを言っておとなの神経を逆なでする。思い返せば、幼稚園のころから私はそうやってSOSを発していたのかもしれません。小学生の時も、中学生の時も、何度も助けようとしてくれたおとながいましたが、助けられた後どうなるかわからないから怖くて、その手を振り払い、心が壊れないように自分の体を傷つけていました。
16歳の時に児童相談所の介入がありましたが、公立高校ではなく県外の私立高校に通っていたことがネックとなり、児童養護施設に入所できませんでした。介入後さらに親との関係が悪くなり、精神的な不調を抱えた私は2年ほど精神病院を転々としました。そうしたら今度は、その通院歴がネックとなって自立援助ホームに入れませんでした。
20歳の誕生日。これからどう生きていくか真剣に考えた時、ずっと私に寄り添ってくれた看護師さんが頭に浮かびました。「よし、看護師になろう」。2年後に無事、看護大学に入学できましたが、看護大学では自分自身と向き合う授業も多く、頻繁にフラッシュバック(過去のつらい体験が鮮明によみがえり、恐怖にかられること)が起き、バイトができなくなりました。学校を続けるため、一時的に生活保護を受けられないか役所に相談しましたが、言われたのは「大学はぜいたく品です」という厳しい言葉でした。施設出身であれば受けられたはずの奨学金も、自分は受けられない。私はいつも、制度のはざまを生き、社会からこぼれ落ちてきたのです。役所からの帰り道、私は自殺を図ってしまいました。
児童虐待の相談件数は年間19万件を超えますが、そのうち子どもが一時保護されるケースは1~2割。児童養護施設などへの入所に至るケースは、さらにその2割程度です。児童相談所の専門職である児童福祉司が一つ一つのケースを調査し、保護の必要性を判断するわけですが、時に誤った判断がなされることがないとは言えません。
その要因の一つが、児童福祉司の置かれた厳しい状況です。相談件数が年々増加するなか、児童福祉司は1人当たり数十~百件ものケースを担当せざるを得なくなっています。疲れ果てて職場を去る児童福祉司も多く、一般の行政職員が研修を受けただけで児童福祉司になることもあります。まいとのケースのように、通っている学校や通院歴が子どもを保護しない理由になることは本来あってはならないはずですが、担当者の専門性や経験の乏しさなどから、厳しい状況にある子どもが二次被害を受ける可能性すらあるのです。
子どもの未来が、たまたま経験豊かな担当者に当たったかどうかで左右されるようなことがあってはなりません。児童相談所司の人員を拡充して働く環境を整え、専門性を高めると同時に、虐待を客観的データから判定するAIや子どもの代弁者となるアドボケーターの導入など新しい試みも進めていく必要があります。
あれから8年。自ら命を絶った仲間もいます。なぜ自分だけが生き残っているのか、たくさんたくさん考えてきました。そして私は昨年、「虐待どっとネット」という団体を立ち上げました。自分と同じ思いをする子どもがいなくなるよう、虐待を受けた経験のある思春期から30代の若者の支援環境の構築をめざす団体です。虐待の後遺症を抱える子どもでも、ふつうにおとなになって活躍できる社会にしたい。みなさん、次世代のために力を貸してください。一緒に優しい社会をつくりましょう。
執筆 : 原沢 政恵
2021年7月3日(土)に親を頼れない若者によるスピーチイベントを行いました。その一部を紹介し、社会的な背景とともに振り返ります。
むんちゃん/20代/女性
寝ていると、いきなりお母さんに髪を引っ張られてベッドから引きずり下ろされ、怒鳴られ、叩かれる。帰ってこない両親に代わって弟妹の世話をしながら、幼い妹に何かあったら、また叩かれる……殺される?という恐怖にかられる。それが女の子の日常でした。ある日、女の子はお母さんに言ってみました。「私は死んだほうがいいの? 生まれてこなければよかった?」。そんなことないよって言ってくれるかと思ったのに、お母さんは「バカじゃないの」と言って女の子のおなかを4度蹴りました。これはテレビで報道されるような事件にならない、誰も知らない物語です。なぜならその女の子――私は、今ここに、まだ生きているから。こんな日常を生きている子どもたちがひっそりと、本当に存在しているんです。
児童虐待は今や、広く知られた社会問題です。2019年度に児童相談所が対応した児童虐待の相談件数は前年度比21.2%増の19万3780件にのぼり、1990年度の統計開始以来29年連続で過去最多を更新しました。児童虐待が社会問題化するにつれ、以前なら見過ごされていたようなケースも通報されるようになったためだといわれています。しかし専門家は、誰にも知られないまま虐待に苦しんでいる子どもの数は、通報されているケースよりはるかに多いと見ています。
虐待を受けている子どもにとっては、どんなにつらい毎日でも、それが日常です。この生活はおかしい、自分の親は間違っているということに気づき、自らSOSを出せる子どもはごく少数です。大ケガをしたり、目立つような傷をつけられていなければ、周囲もなかなか虐待に気づけません。それでも、周囲のおとなが注意深く見れば、何らかの異変に気づくこともあるはずです。おかしいと思ったら、通報する。あるいはとりあえずその子に声をかけてみる。その子の話を聞いてみる。それが、その子にとって救いの糸口になるかもしれません。
周りをよく見てください。遅い時間に1人で公園にいる子、家に帰りたがらず、友だちの家にいたがる子……。変だなと思うと見えてくることがあるかもしれません。どうか変だなで終わらず、声をかけてください。
居場所がなく死んでしまおうかと思った中学校からの帰り道、通りすがりのお兄さんが私に「頑張れ」と言いました。母の過干渉や金銭搾取で参っていた時、大学の友だちが「何かできることある?」と聞いてくれました。誰かが私を見ていてくれる、それだけで生きようと思える1日があったことを、私は決して忘れません。
私はいま、2人の子を持つお母さんになりました。傷はまだ癒えませんが、虐待は連鎖しない、環境が大事なのだと日々戦っています。すべての子どもが子どもらしくあれる。そんな当たり前を皆さんに一緒に作ることができたら、私はとてもうれしいです。
執筆 : 原沢 政恵
2021年7月3日(土)に親を頼れない若者によるスピーチイベントを行いました。その一部を紹介し、社会的な背景とともに振り返ります。
キティ子/20代/女性
私が高校を卒業し、児童養護施設を退所したのは11年前。不景気のなか、私に与えられた道は、手に職をつけるために職業訓練校に進み、自立援助ホームで暮らすことだけでした。高校時代に貯めた貯金からホームの寮費を払うと、手元に残るお金は1カ月わずか5000円。自由になりたいと一人暮らしを始めましたが、現実は甘くなく、学校とアルバイトで生活はぎりぎり。自立援助ホームに相談に行くと、「ごめんね!今いる子の相談があるからまたね」。私は、「守るべき対象からあなたは外れたのよ」と言われた気がしました。
そんななか、施設の先輩であるなっちゃんが私を家に置いてくれ、自分も夜働いて大変なのに食べ物もお金も分けてくれました。「私が大変な時は誰も助けてくれなかった。でもキティ子はなんとかしたい」と。数年前いきなり連絡が途絶え、どこにいるのかわからなくなってしまった彼女は元気にしているのでしょうか。
実は訓練校に通うことで毎月10万円もらえる制度があったことを、何年も経ってから知りました。正しい情報を手に入れることができていれば、卒業間近に水以外のライフラインが止まることはなかったのです。
東京都の調査によれば、児童養護施設や里親のもとを巣立った子どもがまず困ったこと(複数回答)は、「孤独感・孤立感」が34.6%でトップ。次いで「金銭管理」32.0%、「生活費」31.0%などでした。原則として18歳で自立を強いられる子どもたちは、ひとりぼっちで相談できる相手もいないまま、さまざまな困難に立ち向かわなくてはならないのです。
近年、児童養護施設に退所者のアフターケアが義務づけられ、一定の条件を満たせば返済せずに済む自立支援資金貸付制度や奨学金制度も始まるなど、退所者への支援制度は拡充しつつありますが、十分とは言えません。施設の職員は忙しすぎて退所者の世話まで手が回らないことが多いですし、知っている職員がいなくなればつながりは切れてしまいがちです。
ブリッジフォースマイルが2020年に始めた施設退所者のトラッキング調査によれば、退所後3年3カ月で14.4%の退所者の現況がわからなくなっています。現況がわかる場合も、3年3カ月後には高校卒業後就職した退所者の61.1%が離職、進学者も18.8%が中退しており、退所者の不安定な生活ぶりがうかがわれます。
今日のコエールでスピーチした9人。親に頼れず、大丈夫じゃなかった9人がここに存在しています。大丈夫じゃない子どもがいることを知り、その子たちの話に耳を傾けてください。
いま私が働く支援の現場は、たくさんの力で支え合っています。子どもを育てるのは親でなくてもいいのです。誰かを傷つけるのが人ならば、誰かを助け幸せにするのも人であるということを忘れないでください。
執筆 : 原沢 政恵
2021年7月3日(土)に親を頼れない若者によるスピーチイベントを行いました。その一部を紹介し、社会的な背景とともに振り返ります。
しょん/20代/女性
中学生の時、同級生が自ら命を絶ちました。家庭にも学校にも問題があるようには見えず、みな口をそろえて「どうして?」と言っていました。そのなかで私は、私も居場所に出会えていなければ、同じように命を絶ち、どうして?と言われただろうと思っていました。
私の父は母に嘘をついて多額の借金を繰り返し、私に暴力をふるいました。守ってくれる母が私のすべてでしたが、中学1年の時に両親が離婚すると母も心が不安定になり、私を叩き、嵐の中で家から追い出したりするようになりました。私はどうしようもなくて、自分で自分を傷つけたこともあります。でも、そんな時も私は、人前では「普通」であることに必死でした。何があっても毎日学校に行き、必死に笑顔で振る舞う。自分のつらさに気づいてしまったら生きていけないからです。そんな私は何かの支援につながることはできず、周りに気づかれずに済む程度のことだったのだと考えて最近まで生きてきました。でも、私が支援につながれなかったのは、本当にその程度のことだったからなのでしょうか?
いいえ、私は嵐の中でうずくまっている昔の私を見捨てたくありません。一人で泣いている私に、もっとつらい人がいるから我慢しろと言いたくもありません。昔の自分を見捨てないために今言います。私はつらかった。苦しかった。
私が生きてこられたのは、中学2年の時に、教室という居場所に出会えたからです。担任の先生は「この教室を世界で一番平和な場所にする」と宣言。私を受け入れてくれる仲間もでき、教室は私にとって安全で安心な場所になりました。先生や仲間に相談することは最後までできませんでしたが、それでも居場所があったことで私は救われました。
児童相談所が扱う虐待相談件数は年間十数万件ですが、相談に至るほどではなくても何らかの支援を必要とする「予備軍」はその数倍にのぼると専門家はみています。そうした子どもたちにとって、家庭の外に安心できる居場所があるかどうかは重要な問題です。毎日長い時間を過ごす学校がそうした場所であれば、多くの子どもたちが救われるはずです。とはいえ、学校の教師たちは、増える一方の雑務や難しさを増す学級運営、クレーム対応などに追われ、一人一人の子どもとじっくり向き合う時間がなかなか取れなくなっています。
こうした状況を受けて、国も教師の負担軽減や子どものケア強化に乗り出しました。子どもたちの相談に乗り、心のケアを行うスクールカウンセラーの配置は1995年度から始まり、現在、全国で3万人強が活動しています。2008年度からは、子どもの生活環境に踏み込んで問題解決を図るスクールソーシャルワーカーの配置も各中学校区に1人を目標に始まり、2017年度からは部活指導員、2020年度からはいじめ問題などで学校に助言を行うスクールロイヤーも制度化されました。
私は、「助けて」と言えない子にかかわれる学校という場所で、見えない背景に苦しむ子に居場所を提供する。そう決心し、教員を目指しています。普通に見えても、苦しんでいる子どもはたくさんいます。支援につなげるのが難しい時もあるかもしれません。でも、見えない背景があるかもしれないとおとなが意識することで、変わることもきっとあります。一人の意識が、誰かの居場所を作り、命をつなぐこともできると、私は信じています。
執筆 : 原沢 政恵
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