2020年7月4日に親を頼れない若者によるスピーチイベントを行いました。
その一部を紹介し、社会的な背景とともに振り返ります。
ヨウ/20代/男性
ケンカばかりしていた両親は私が小学1年の時に離婚。私と弟妹は母に引き取られました。学校でいじめられても日夜仕事に励む母には言えず、一人で耐えました。中学2年の時には母がうつ病を患って入退院を繰り返すようになり、私が母に代わって弟妹の面倒を見ることになりました。高校に入っても母の病状は悪くなる一方で、手首を切って自殺を図ったことも何度かあります。私は「死なんでよ!家のことは、俺が何とかするけん!」と必死で母に訴えました。けれど、勉強も家事も思うようにいかず、成績は下がり、弟妹に八つ当たりすることも増えた私は、そんな自分が嫌になり、ある日、母の精神安定剤を大量に胃に流し込みました。激痛と重くなる体を抱え、この世界から消えることができる喜びに浸りました。「これで楽になれる」と……。
三世代同居が減り、ひとり親家庭が増えるなど、家族の形が多様化し規模が縮小するなか、家事や家族の世話など本来なら大人が担うべきケア責任を子どもが担うケースが増えています。ケアの内容は病気や障害のある家族の介助、高齢者の介護、精神的な問題を抱えた家族の世話、日本語が第一言語ではない親の通訳などさまざまです。18歳未満でこうした立場に置かれた「ヤングケアラー」は全国に3万7千人以上いるという推計もあります。
彼らはみな「良い子」で、家族のケアを自分の責任と考えているため、外部にSOSを発しようとしません。近所づきあいが薄れる昨今、周囲が彼らの負担の重さに気づく機会も減っています。過度の負担によって学校生活や仕事がおろそかになっても、周囲がその真の原因に気づかなければ、誤解され、孤立を深める結果にすらなりかねません。福祉や医療、教育などの現場にいる大人が、積極的に彼らの存在を認識し、負担を分かち合い、本来の子どもらしい生活を送れるよう手を差し伸べなければ、彼らの苦しみは終わりません。
私の自殺は失敗に終わり、1日高校を休んだだけで元の生活に戻りましたが、母が入院先でたまたま「子どもだけで生活している」と話したことがきっかけで、救いの手が差し伸べられました。私たちは施設に入所し、そのおかげで現在はそれぞれ楽しく生活することができるようになりました。母がうつ病になってからの約2年間、誰も私たちを助けてくれなかったのは、私たちがSOSを出さなかったからです。子どもはSOSを出すことができません。SOSを出すという選択肢自体を知らないのです。皆さんは、周囲の家庭の〝異変〟に気づいたことはありませんか? 困っていそうな子どもがいたら、声をかけてあげてください。あいさつだけでもいいのです。あなたの声かけが、1人の人生を救うかもしれません。
執筆 : 原沢 政恵